この東京裁判の違法性、大東亜戦争の真実、A級B級戦犯とされた英霊らの名誉を回復し初めて日本は国体を正すことができるのではないでしょうか?
「東京裁判終了後にウエップ裁判長もキーナン主席検事も『この裁判は誤り』だったと述べている。また、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカサーも昭和26年のアメリカ合衆国上院議会 軍事外交合同会議でも『彼等が戦争に飛び込んで行った動機は大部分が安全保障に迫られたもので自尊自衛の戦いであった』と証言をしている。そしてインド代表のラダ・ビノード・パル判事は「この裁判は日本が侵略戦争したのかを審議するのではなく、最初から侵略戦争をしたという前提に基づいての審議をし、大衆の心を支配しようとした』と批判した。更にパル判事は『検察側の日本の侵略戦争の歩みを歴史の偽造』と断言した。」
ということで後世、この東京裁判においての裁判長、主要検事、そして連合国軍最高司令官のダグラスマッカーサーまでもが東京裁判が誤りであったこと、日本が追い詰めら自衛のための戦争であったことを証言し認めている。
にもかかわらず土下座外交なるものを展開し、中国にはODAを与え続けた。 この東京裁判を裏で操り、日本へ行った未曾有の大虐殺(東京大空襲、広島、長崎への原爆投下)への国際軍法上の著しい違反を覆い隠すために日本軍が大変悪いという印象を作るために、米軍閥(第二次大戦で一番儲けたDロックフェラーら)は中国共産党と共謀して南京虐殺を捏造したり戦後日本軍悪のプロパガンダにした。
A級戦犯とされた、東条英機、板垣征四郎、松岡洋右は本当に悪人だったのか?
1940年ナチスドイツの迫害から逃れてきたユダヤ難民6.000人以上の命を救うビザを発給した外交官 杉原千畝氏の話は有名だが。
しかし、未だに杉原氏が日本政府の方針に反してビザを発給したと信じられている。
ビザ発給には杉原個人の機転や勇気が必要だったことは確かで彼の名声が変わることはない。
だがそれを支えたのが同盟国ドイツの圧力をはねのけ、民族差別をしないという「八紘一宇」の主張を守り抜いた日本政府の方針だったことはあまり知られていない。
実はユダヤ難民を救った日本人は杉原氏のみではない事を日本人は知るべきだと思う。
その2年前にナチスから逃れたシベリア横断時に凍死の危機にさらされたユダヤ難民を救ったのが関東軍の樋口李一郎少将。
樋口少将がユダヤ難民輸送列車の手配を満鉄総裁に依頼、満鉄総裁はユダヤ難民を無賃輸送するように指示をした。
その後も無賃輸送は続けられた。
その満鉄総裁は誰であろう?
A級戦犯とされた松岡洋右氏である。
一方これに対し、ナチスドイツから抗議が来て、樋口少将は関東軍参謀長に事情聴取を受けた。
だが参謀長は樋口少将の意見に賛同してナチスドイツの抗議をはねのけ、その後も同じルートでユダヤ難民を避難させ続けたのである。
その参謀長とは誰であろう?
悪の根源と言われ、A級戦犯とされた東条英機である。
同年12月、首相、外相、蔵相、陸相、海相の五大臣による五相会議で「猶太人対策要網」が策定されユダヤ人を排斥しないということが正式に日本の国策となったのである。
しかし、こういう問題は本来外務大臣の所管であり、しかし樋口少将の補佐などを務め、満州におけるユダヤ難民保護の方針を策定した安江仙弘大佐が陸軍大臣に意見をした。
これに共感した陸軍大臣が五相会議に提案し、国策として成立させたのです。
その陸軍大臣とは誰であろう?
満州事変の首謀者と言う事で、いわゆるA級戦犯の中で東条英機の次に悪者扱いされた板垣征四郎である。
この、いわゆるA級戦犯の中でも最も評判の悪い3人こそが数万人のユダヤ難民救済に欠かせない役割を果たしたのである。
そして、杉原千畝の勇気ある行動を支えたのがいわゆるA級戦犯、板垣征四郎らの尽力によって成立したユダヤ人差別せずの国策だったのです。
その行動は天皇陛下の万民へのご慈悲に従って動いたのです。
12月23日、先の皇太子殿下のお誕生日に7人の戦犯と呼ばれる日本人が処刑された。
東京裁判の一連の流れは歴史上類を見ない国際法無視の報復裁判であった。
これからの世界がこの様な虚偽と欺瞞の時代を続けないように日本人こそが目を覚まさなければならない。
これは今なお続く日本国国體へ向けられた侮辱である。
補足;東條由布子のHPより
昭 和27年、4,000万人もの国民の署名を元に、異国の軍事法廷から所謂戦犯とされた同胞を救出し、超党派の決議で、全ての所謂戦争犯罪者を「法務死」という呼称に変え、日本には戦争犯罪者は一人も居ないと閣議決定したこと。
村山談話も閣議決定なら「法務死」も閣議決定です。
しかし、国民の意識としてこの法務死などということばは浸透していない。
まだ多くの国民が戦後の洗脳教育から日本軍悪、戦犯という意識が大半ではないだろうか。