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《 日本と韓国の間に横たわる「歴史問題」の根源は、『韓国という国家の経歴詐称』にある。》

韓国政府が中高 国史教科書を2017年から国定化に戻す決定をした事は既に投稿した通りだが、教科書の中で最もよく読まれる書籍が国史教科書である。この事から、全ての韓国人の歴史観の基になっているものが国史教科書であると考えて問題ないだろう。ここで、長年使われ続けた、韓国の国定 国史教科書の記述がどうであったか簡単に確認しておく。

「日韓併合」について過去の国定 国史教科書は、『日帝は李完用を中心にした親日内閣に対して、日帝に合併するよう条約を強要し、遂に我が民族の国権を強奪した。』とある。併し、これは史実とは全く異なる。という事は韓国人の歴史観は史実に反していると言う事ができる。

史実を振り返るに李氏朝鮮の独立から話を進める必要がある。『日本は朝鮮を清から切り放つ為、清国と朝鮮の宗属関係を断ち切り、朝鮮に本当の意味での自主独立国になって貰いたかった。その為、1894年に日清戦争を起こし、兵力では圧倒的に多い清に日本は連戦連勝して、あっけなく朝鮮の宗主国「清」を打ち負かした。 その結果、1895年4月に日清講和条約(下関条約)が締結された。』

下関条約
・清国は朝鮮の独立を認める。
・遼東半島、台湾、澎湖島を日本へ割譲する。
・2億両(tael)の賠償金を日本へ支払う。
・日本人は各開市場・開港場に於いて、製造業に従事できる。
・片務的最恵国待遇を日本に与える。
(遼東半島は、後に三国干渉により後に放棄させられた)

朝鮮は千年に亘り支那の属国であった。当時、清の軍隊が漢城(現ソウル)に駐屯し、支那領になる寸前であった。それを阻止しようと日本が起こしたのが日清戦争であったのだ。

一般的に戦争後の講和条約ではほぼ例外なく、第1条で、負けた側が支払う賠償や割譲する領土の事を記すものだが、下関条約第1条は、「清国は朝鮮の独立を確認する」と謳っている。いつの世も一番重要な事が第1条にくるものだが、日本にとっては、朝鮮の自主独立が最も重要であった証である。

以後、朝鮮は独立の道を歩む事となるが、日本に独立させて貰った朝鮮は国名を李氏朝鮮から大韓帝国へと変更した。そして、独立を機に「迎恩門」が壊され「独立門」が建てられた。「迎恩門 」とは清国皇帝から受けた恩に、感謝して迎える為につくった門で、ここで朝鮮王は、9回頭を地面に叩きつけて、ひれ伏し、清の使者を迎えた。 大韓帝国は、その「迎恩門」を取り壊して、同じ場所に「独立門」を建てたのである。大韓帝國はこの時、大喜びをしたと記録にある。

日韓併合時、既にあった南大門の前に新たな門が建てられ、その上に大韓帝国の旗と日本の国旗が翻った。その門には日本との併合を強力に推し進めた朝鮮最大の政治結社「一進会」の文字が大書され、門には「奉迎」と刻まれた。これはどう考えても韓国の国定国史教科書にあるような「強要・強奪」の印象は浮かんでこない。日本に独立させて貰った当時と同様に朝鮮人が大喜びした姿が窺える。

大日本帝國は独立の機会を李氏朝鮮に与え、併合は大韓帝國側の請願によって合法的に諸外国の列強国家群も容認する形で進められたものであった。大韓帝國が併合を請願してきた理由は、朝鮮王朝に国家を運営する能力が無く、日本との信頼関係を裏切り、国際的な信用を無くした挙句の併合請願であった。この事実を歪めたり忘れたりしてはならないと、今の韓国人に言いたい。国を治める力が無く、陰謀と裏切りと変節の果てに国を失った朝鮮王朝の自業自得である。

韓国の国史教科書にある『日帝は李完用を中心にした親日内閣に対して、日帝に合併するよう条約を強要し、遂に我が民族の国権を強奪した。』という表現が如何に史実に反するものであるか、韓国の政治家・知識人は胸に手を当てて良く反省するべきだろう。

元々、朝鮮は独立国であった。それを日帝が強制的に植民地にした。それが「日韓併合」であると韓国と北朝鮮は主張し、教科書にも記述している。これこそが根本的な歴史の捏造である。

韓国人はソウル西郊に在る「独立門」は、日帝からの独立を記念して建てられたものだと嘘を教えられている様だが、史実は、清国から独立させて貰い、大韓帝国になった事を祝して建てられた物であり、この独立を実現させてあげたのは当時の大日本帝國である。現在の韓国は国の成立ちの定義を根本から捏造しているのである。 自国が李朝成立時 以前から支那の属国であった事実を認めたくない為に、元々、『朝鮮は独立国』であったと主張し続けているのである。

ここに日韓の歴史問題の全ての原因が在るのではないだろうか? 言い方を変えれば、韓国は自国の経歴詐称をしているのである。この手の嘘は、一度ついたら、次々と嘘の上塗りをしていかなければならない。日韓の間に横たわる様々な歴史問題に関しては、この一点(国家の経歴詐称)を韓国に突きつける事によって、韓国側の主張は全て崩壊するのではないだろうか。

経歴詐称というのは、どうも癖になるようで、韓国は大東亜戦争で日本が敗戦した事により、米占領軍に3年余り占領され、米占領軍の統治から大韓民国として真の独立を果たした月日も詐称している。本当の韓国建国日は、日本敗戦から3年後の1948年9月11日である。然るに大韓民国 初代大統領 李承晩は独立の月日を8月15日と後から変更した。こうしておけば如何にも日本と戦って独立を果たしたような錯覚を覚えるからだ。流石に独立年は変えられないが、月日だけでも日本の敗戦日に合わせておこうという姑息な二度目の国家経歴の詐称である。

wikipedia は便利だが、wikipedia の韓国建国年月日も、1948年8月15日となっている。日本の学者なら、韓国の独立日が1948年9月11日である事は知っている。8月15日としたのは、おそらく在日の仕業であろう。本来の日本は性善説の通る国であったが、こう在日が蔓延ってしまっては、wikipedia も もはや性善説で信じ込む事は避けた方が良さそうだ。

石川 久遠さんの写真