カテゴリー別アーカイブ: かまくら保存の会様のフェイスブックより

【トルコ】 『ボスポラス海峡を監視せよ ~ 山田寅次郎』

 

明治37年(1904年)2月10日、日本はロシアに宣戦布告しました。日露戦争です。当時ロシアは世界最強の軍隊を持っていましたが、日本は辛勝なが らも連戦連勝を続けます。ロシアは日本を一気に潰すため、バルト海からバルチック艦隊を派遣する手段に出ました。ロシアはバルチック艦隊のほかに黒海艦隊 を持っていました。日本海軍としてはやってくるのはバルチック艦隊だけか?黒海艦隊も来るのか?というのが重大な関心事でした。黒海艦隊が地中海に出るに はイスタンブールのボスボラス海峡とその先のダーダネル海峡を通過しなければなりません。そこで、駐オーストリア特命全権公使、牧野伸顕(まきの のぶあき)はイスタンブールにいる山田寅次郎に黒海艦隊の動向を秘密裏に監視する密命を与えました。

 山田寅次郎はトルコの軍艦エルトゥールル号の遭難事故をきっかけにオスマン帝国・イスタンブールにやってきて、日本とトルコの交易のほか民間大使のような役割を行っていました。当時、日本とトルコは正式国交はなかったのです。

寅次郎はボスポラス海峡の入り口にある一軒家を借り終日望遠鏡で海峡を監視しました。またイスタンブールの中心街の高台にあるガラタ塔でトルコ人20人 を雇って交代で黒海艦隊の動静を昼夜にわたって監視させました。そして7月4日、怪しい船を発見します。ロシアの義勇艦隊の三隻が貨物船のように偽装し、 食料や飲料水を補給して出航の準備をしているのを目撃したのです。寅次郎はすぐさま牧野伸顕に報告し、牧野伸顕から本省へ打電されました。

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小村外務大臣

第113号

「コンスタンチノープル」ヨリノ密報

義勇艦隊ノ汽船二隻兵員ヲ載セ七月四日海峡ヲ通過セリ 尚ホ一隻ウラル号ハ同シク七月四日ニ通過シタル筈 右ハ仏国(フランス)ニ向ヒタリト云フ  「ツーロン」又ハ「マルセーユ」ノ内ニ寄航スルナラント思ハル 義勇艦隊ノ動作ハ「バルチック」艦隊ノ進退ニ関係ナキカ 右ウラル号は「オウレル」号ノ間 違ナルベシ

※コンスタンチノープルはイスタンブールのこと。

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ロシア義勇艦隊のペテルスブルグ、スモレンスク、オリョールの三隻が七月四日、ダーダネルス海峡を通過し、南下したという報です。そしてこれらの三隻の 動向は追跡され、二隻はスエズ運河を通ってウラジオストックに向かったと報告され、一隻は病院船に使用する目的のようだと報告されています。

「日本外交文書第37巻・第38巻別冊日露戦争I第3節中立諸国交渉事件1 ダーダネルス海峡通過問題2」には牧野伸顕からの発信で「コンスタンチノー プルよりの私報」「在コンスタンチノプル諜報者」という言葉が見られ、これらは寅次郎のことを指していると見て間違いないでしょう。寅次郎はオスマン帝国 皇帝の見解を報告しています。

「予ノ確メ得タル所ニヨレバ土耳古(トルコ)皇帝ハ黒海艦隊ノ海峡通過ノコトニ反対セリ是レ英国ノ抗議を受クルニヨル」

外交文書を見ているとオスマン帝国軍士官からもペテルブルグ号に重砲が積み込まれたという通報があったことが報告されており、トルコ側からも情報提供があったことがわかります。

黒海からは三隻がバルチック艦隊に合流したのみで、黒海艦隊の出撃はないとわかり、日本海軍はロシア艦隊は一つである前提で作戦をたてました。そして 翌、明治38年(1905年)5月、日本海海戦において連合艦隊はバルチック艦隊を撃滅しました。日露戦争後、時の外相、小村寿太郎は寅次郎の功績に対 し、銀七宝花瓶一組を感謝状とともに渡しています。

ロシアに苦しめられていたトルコ国民は日本の勝利に熱狂し、東郷平八郎将軍、乃木希典将軍にあやかってこの時期に生まれた子供にトーゴーやノギと命名す るのが流行しました。寅次郎がトルコの人々から絶大な祝福を受けたのは想像に難くありません。(『かつて日本は美しかった』より)

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【皇室】 『皇室は質素』

 

皇室は大金持ちで一流のものを食べ、一流のものを身に付け、優雅な暮らしをしている、そんな風に思っている国民も少なくないのではないでしょうか。

これには大きな誤解があり、マスコミなどが欧州の王室のような報道の仕方をするために、そう思い込んでしまう人がいるのかもしれません。

戦前の皇室は御料地といって全国に土地を持ち、有価証券など莫大な財産がありました。ですが、主に国策会社で不動産も96%は材木を得るための林野でしたから私有財産というより国庫とあまり変わらない位置づけだったのでしょう。そもそも皇室は無私の存在です。戦後、GHQは財閥などの力を弱めるため一回限りの財産税法を課し、皇室財産も90%は国庫におさめ、さらに新憲法によって資産のほとんどは国に納めました。原則的に皇室には私有財産というものは認められていません。

皇室のための予算は「宮廷費」「内廷費」「皇族費」があり、宮廷費は宮内庁管理のもと国事行為や儀式、行幸啓、外国訪問、宮殿の補修に使われます。内廷費は天皇および皇族方の日用の費用に当てられ、平成21年度は3億2千万円です。いわゆるプライベートマネーですが3割は祭祀などの人件費にあてられています。ですので、本当の意味で皇室が自由に使えるお金はさほどありません。昭和天皇は生物関係の研究書を買うときに侍従に「少し高価だが、経費に差し支えなかったら買ってもらいたい」と新聞広告を示して相談したというエピソードもあります。

皇太子殿下(今上天皇)の初等科卒業のお祝いに写真機をプレゼントしましたが「あまり立派なものや高価なものを与えては将来のためにならん」と言って宮内庁写真部の中古品を利用したといいます。

皇室は戸籍がないため、保険にも加入できません。宮内庁病院を利用すれば皇室は無料ですが、最新の医療技術が整っているわけではないので、宮内庁病院で手に負えない病気になると一般の病院で治療するため高額となります。宮内庁病院は老朽化が進んでおり、雅子妃殿下がご出産のために入院されたとき、米紙は「設備がボロボロ」「なぜロイヤルベビーが質素な病院で生まれなければならないのか」と報じたそうです。

食事もごく普通の家庭料理を召し上がり、食材も御料地の牧場と築地の水産会社から仕入れます。高級食材など購入するゆとりはありません。毒見役というのはいません。侍医や調理スタッフが味付けや栄養素に問題がないかチェックする程度です。御用達制度は悪用、乱用する者が現れたからできた制度で、昭和29年に廃止されています。

このように皇室は欧州の王室のような大富豪とはまったく異なります。雅子妃殿下がご病気になられたとき、欧州のマスコミは「プリンセスは因襲だらけの皇室に閉じ込められ病気になった。ヨーロッパの王族のようにもっと自由に、週末はヨットで海に出たり、夜はいろいろなレストランやナイトクラブで楽しむことを、日本の宮廷は許すべきだ」などと言い、日本のマスコミが「そうだ、そうだ」と報じるようなことをするから国民の間に誤解が生じるのだと思います。(『かつて日本は美しかった』より)

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【第二次上海事変】 『上陸部隊の大苦戦』

 

コミンテルンのスパイだった国民党の張治中は対日戦に備えて、上海の陣地構築を行い、軍事輸送のための車両と船舶を支配下におき、食料を作戦予定地に蓄えておくよう政府に要請しました。衝突が起こればヾ,5師を上海正面に投入し、日本の陸戦隊を一気に殲滅し、揚子江岸に日本軍の上陸に備えて2個師を配備する計画を練ります。

 揚子江を160キロメートル遡った江陰に要塞を気づき、小山のふもとから幾重もの鉄条網、幾段ものトーチカ群を築き、頂上には32センチ巨砲を4門すえつけます。ドイツ軍事顧問団によって設計された最新式のものです。さらに遡った南京付近の要塞も改造し、ドイツから輸入した電動照準装置のついた高射砲が設けられます。こうして日本軍を上海におびき寄せ大戦争を行う準備ができあがり昭和12年(1937年)8月13日に本格実行されます。

上海では7万の支那軍に4千の海軍陸戦隊が包囲されます。日本は名古屋第三師団と四国善通寺第十一師団を派遣します。上陸した陸軍部隊は要塞化された部落を目の前にし足踏みします。それどころか夜になると支那軍が夜襲をかけてくるのです。

支那軍はチェコ製の軽機関銃を持ち、日本軍が近づくと弾のカーテンを作るぐらい惜しみなく弾を使いまくり、各自十数発の手榴弾を持ち、日本軍へ突撃して手榴弾投げまくります。日本軍は攻めあぐね死傷者が増大していきます。

しかも敵は支那兵だけでなくアメーバ赤痢というのもいました。生水を飲むことは禁止されていましたが、乾きに耐え切れず飲んだものはアメーバ赤痢にかかり、簡単には治りません。コレラも発生し、嘔吐と下痢でついていけなくなる兵が続出しました。トーチカと病気に阻まれて上陸軍は身動きが取れない状態となります。

9月に入り、日本軍は三個師団の追加を決定。その後、更に三個師団、そして一個師団を追加増援して合計九個師団の大軍となります。何が起こっているか飲み込めていない軍首脳部は不拡大方針にこだわり、兵を逐次投入してしまうという愚行を犯してしまいます。そして戦死者10,076、負傷者31,866という日露戦争の奉天戦に匹敵する損害を出すことになってしまいました。

名古屋駅、岐阜駅、静岡駅、豊橋駅に白木の箱を首からつるした兵士が大勢降り立つようになります。何百ものおびただしい数です。この光景に国民もようやく上海戦の苦戦を知ることになりました。(『かつて日本は美しかった』より)

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